水野祐(@TasukuMizuno)のブログ

弁護士ですが、「リーガル・アーキテクト」という意味での法律家というつもりで生きています。Twitter: @TasukuMizuno / Lawyer / Arts and Law / Creative Commons Japan / FabCommons (FabLab Japan) / All tweets=my own views≠represent opinion of my affiliations

小ささ(Lessness)について

「小さいけど、最高のチームを作りたい。」


インディペンデントであること、マイノリティであることに共感を持ってきた自分にとって、以前は「小さい」ことへのこだわりは常に強がりと裏腹だった。

 

でも「小ささ」が武器であるということに確信できるようになったのは、37シグナルズの『小さなチーム、大きな仕事』を読んだからだろう

(ぼくらの世代のクリエイターはこの本に影響を受けた人も多いはず)。

 

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ディーター・ラムスの「Less is more」なんていう言葉が有名だけど、なぜ「小さい」ことがよいのか。

  • 身軽で柔軟
  • 意思決定が早い
  • 複雑さ、冗長さを免れる
  • 多数決からよいものは生まれない
  • 小さいという制約から生まれる創造性

etc.

 

挙げれば色んな要素があるだろう。

もちろんスケールメリットがある分野も存在する。 

でも、ぼくが「小さい」ことにおいて一番重要なことだと思っているのは、今日あらゆる分野において、複雑化・大型化が志向されるなかで、「小さい」ことは選択であり、強靭な意思をもって獲得するものであるということだ。

 

このような「小さい」ことの利点は、法律家のような専門職にこそ当てはまるのではないか、というのがぼくの仮説であり、ぼくはこの仮説に基いてシティライツ法律事務所を経営している(そう何を隠そう、この本がネタ本です)。

 

不完全の美しさ。日本の「ワビサビ」のエッセンスでもある。

ワビサビの価値は、見た目の美しさを超えた特徴と個性にある。

物事の中にあるひびや傷も否定されるものではないと考える。

それはまたシンプルさでもある。

(前出『『小さなチーム、大きな仕事』より)

 

これは、もう1つの日本の可能性?

 

繰り返しになるけども、小さいけど、最高のチームを作りたい。

「〜法」と名付けられる前に

「何法の専門なんですか?」とよく聞かれる。

著作権法などの知的財産法の専門家であると説明することが多いけども、30社強の会社の顧問をやっていると、日常的な契約法務から投資契約、取締役会手続、雇用、業務委託、債権回収、賃貸借など、様々なシチュエーションで会社法民法、労働法など多岐にわたる法律を扱う。純粋に知的財産法を扱っている時間など、ごくわずかだ。

 

この仕事をしていると法分野ごとに専門や業務の切り分けをしている人に多く出会う。専門性をつけろと声高に言われることも多い。

しかし、もしあなたが未開のフロンティアを扱いたい法律家なのであれば、知的財産法とか会社法とか、「〜法」と呼ばれる分野によってあなたの専門性を捉えてはいけない。そうではなく、実際に生まれている新しい技術や文化、それらを背景としてビジネスに対する興味でもって、あなたの専門性を捉えるべきだ。

なぜなら、「〜法」と呼ばれる分野は、すでにその背景となる技術やビジネスがずっと先行し、様々な議論を経たうえで法律あるいは法学として体系化されている分野だからだ。すでに「〜法」と付いた分野は、その分野における多くの議論の蓄積のうえで成り立っているので、そのような分野を追いかけていても真の意味でのフロンティアを目指すことは難しい。

もちろん、すでに体系化された法分野にも新しい領域は生まれ得るし、そのような領域を扱う法律家は不可欠なので、これはあくまでもわかりやすい意味でのフロンティアを扱いたい場合の話である。

重要なことは、それほどまでに法制定あるいは法学の議論というのが、現実の事象から遅れを取ることであり、それは昨今の情報環境の変化のなかで倍加しているという事実と認識である。

法律家に圧倒的に足りていないのは、自らの興味ドリブンで動くという姿勢だとぼくは思っている。そのような姿勢が欠けているから、単なる受託になってしまいがちなのではないか。

 

ということで、というわけでもないのだが、本日6/10発売の雑誌版WIREDに「The Law, Behind Technologies・21世紀法律相談所」という小特集が組まれている。

AI、ビッグデータビットコイン、ブロックチェーン、ゲノム、フェアユース、自律走行車、忘れられる権利、民泊、3Dプリンティング、パブリックスペース、BIDなど多様な先端領域における法のあり方について、それぞれ短いコラムを書いているのと、インタヴューを掲載していただいている。これらの先端領域にはまだ体系化されていない問題群が海に浮かぶ離島のように散在しているのみだ。具体的な実践例として、風営法改正に尽力されている齋藤貴弘弁護士のインタヴューも必読である。

その他、「いい会社」特集では、注目の「B-Corporation」に関する記事もあり、読み応え十分。

ぜひ買って読んでいただきたい。

 

wired.jp

テレビを前にして

テレビ論のマスターピースとされる萩元晴彦、村木良彦、今野勉『お前はただの現在にすぎない −テレビになにが可能か』において、テレビはジャズに喩えられている。

ジャズのように、即興で、インタラクティブな「現在性」こそが、テレビの可能性であると唱えられたわけである。

 

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しかしながら、周知の通り、このような「現在性」は、インターネットの普及、より具体的に言えばソーシャル・メディア、Netflix、huluのようなオンデマンド、ストリーミング・サービスなどの普及により、もはやテレビの可能性とは言えなくなっている。

それでは、いまテレビの可能性とは何なのだろうか? 

 

テレビはその大衆性により、わかりやすさに流れ、撮影や取材の対象の複雑さや豊かさを矮小化し、あっという間に消費してしまう(もちろん、これはあらゆるメディアに言えることであるが、テレビではその傾向が先鋭化する)。

同じく、テレビはその大衆性により、クレームの対象となり、結果として自主規制が進み、表現がいとも簡単に萎縮する。

ぼくは、このようなテレビが好きではない。

 

テレビマンたちは、これだけ多くの人に届けられるメディアはない、と口を揃えて言う。

だが、多くの人に届くというのはこれまで築いてきたテレビの結果であって、可能性ではない。これからますます「テレビだから多くの人に届く」ということはなくなっていくだろう。

テレビは、その大衆性にこそ価値がある、という声がある。

これは説得力があるようにも思えるが、その大衆性により「時代」や「空気」を作る(あるいは作られる)ことに果たしてどれだけの意味があるのか、わかるようで、よくわからない。

ぼくには、これらのテレビの特性として挙げられる事由が、ある「時代」や「空気」を共有しているように感じられた20世紀的な、昭和的なノスタルジーにも見えてしまう。

 

 

「クリエイターを守る」という杓子定規な言葉とは裏腹に、現代の創作環境は複雑化している。クリエイターを「守る」ことがそのままクリエイターやクリエイティブ環境のためにならない、という一筋縄ではいかない状況について、ぼくは自覚をもって活動しているつもりである。 

今回、およそ半年間の取材のなかで、テレビマンたちに「なんでテレビなんですか?」「なんでわかりやすくする必要があるんですか?」と問い続けた。

現代の細分化された視聴者の興味・嗜好のなかで、あえて大衆性に挑んでいる(と信じたい)彼らに、その声は届いたのだろうか。

 

「ジャズは死んだ」と言われて久しかったにもかかわらず、ロバート・グラスパー周りでジャズが再興している(ように見える)ように、いつかテレビにも新しい可能性が見いだされるのだろうか。

ぼく自身は、そんなことを考えながら、テレビを前にしている。

『なぜ、日本人シェフは世界で勝負できたのか』を読んで

本田直之『なぜ、日本人シェフは世界で勝負できたのか』を読んだ。

 

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野球やサッカーなどのスポーツ選手が世界で活躍する姿に脚光が集まるなかで、世界でレストランや料理界で大活躍している日本人の料理人、シェフはまだ注目されていない。その姿に光を当てながら、食や料理にこそ日本人が世界に通用する近道ではないかと提案しているのが本書である。

 

本書で、ぼくが特に興味深いと思った話が次のようなものである。

 

  • フランスのレストランは、原則として、現在レストランがある場所でしかレストランを開店することができず、前のお店の「営業権」のようなものを前年の売上げの9割くらいの値段で買い取らなければならないという制度がある。これにより、フランスによるレストランの受給は安定する一方で、開店には大きな資本が必要となるという話(1億円くらい)。
  • フランスでは、労働者の権利が強く守られており、週5日勤務がしっかり守られている一方で、週6日でも7日でも働く日本人は重宝され、レストラン業界でも優位な位置に立つことができているという話。

 

本書でも、レストラン業界の過酷な競争に関する話が出てくるが、料理におけるパクリ問題、レシピと著作権の問題について、近年もっとも重要な指摘をしているのが、『パクリ経済 ーコピーはイノベーションを刺激する』である。

 

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本書は、食やファッション、コメディ、アメフトのタクティクスなどにおけるフリーカルチャーな業界においても一切イノベーションは閉塞しておらず、むしろ加速しているくらいである、という事例を多く紹介することで、知的財産権とはそもそもイノベーションを促進するために存在するという言説に対して、一定の反証に成功している。

本書でも、上記『なぜ、日本人シェフは世界で勝負できたのか』においても、料理に関する創意工夫は留まることを知らない。

 

知的財産権とはなぜ必要なのか?なんのためにあるのか?

一定の独占権を与えることでインセンティブを付与し、イノベーションを加速させる、という、いわゆる「インセンティブ論」と呼ばれる通説的見解は大きな曲がり角に立っている。

食や料理は、このことを考えるための格好の素材なのである。

2016年度からのタイムチャージ

おはようございます。新年度ですね。

 

本日から法人のお客様のタイムチャージを15,000円/hから20,000円/hに上げさせていただきます(すでに顧問契約済みのお客様は据え置き、個人のお客様も10,000円/hで据え置きです)。

よろしくお願いいたします。

 

さて、弁護士報酬の算定方法には、大きく分けて「タイムチャージ型」と「着手金・成功報酬型」がある。

タイムチャージ型は、アワリー(1時間あたり)いくらで、かかった時間の分だけ請求する方法。大中企業の法務では比較的一般的とされている方法である。

一方、着手金・成功報酬型は、着手時にいくら、終了後にいくら、という固定のお金を請求する方法をいう。中小企業の法務や一般民事で一般的な方法と言える。

 

この2つの算定方法には、それぞれメリット・デメリットがある。

この違いがよくまとまっているのが、柴田健太郎弁護士のこちらのブログ・ポスト。

 

もはや議論は避けられず。。タイムチャージの問題点とその削減対応についてまとめてみた - bizlaw_style

 

これらの議論を踏まえ、ぼくはキャップ(上限)をおおよそ決めたうえでのタイムチャージ方式で請求させていただくことが多いのだが、タイムチャージによる算定方法にはどうしても違和感が拭えないでいる。

その最大の理由は、タイムチャージ型は、上記ポストにもあるように、仕事が早い弁護士ほど請求金額が低くなってしまう、それと同時に仕事のフィニッシュにインセンティブを保ちにくい、という致命的な欠点があるからである。

タイムチャージを上げればよいのでは?と思われる方もいらっしゃるかもしれないが、たしかに仕事ができる一部の外資系のロイヤーはその傾向にあるものの、リーガルサービスの市場が成熟していない日本において、タイムチャージをむやみに上げることはその小さな門を閉じられてしまいかねない。

個人的には、「タイムチャージ+成功報酬型」が正解だという気がしているのだが、これは法律相談や契約書のドラフト、レヴューなどではなく、訴訟やプロジェクト型の仕事にこそ妥当するのだろう。

フットボール・リークス(Football Leaks)とスポーツ契約

ウィキリークス」ならぬ、「フットボール・リークス」(以下「FL」)というウェブサイトがサッカー業界を揺るがしている。

FLは、サッカー業界の秘密情報を暴露するウェブサイトであり、特にC・ロナウドギャレス・ベイルメスト・エジルなどの著名選手の契約書(移籍契約書やマネジメント契約書など)がそのまま流出している点で業界にインパクトを与えている(日本人では田中順也柏レイソルからスポルディングリスボンへの移籍契約書とその際のコンサルティング契約書が流出している)。

 

footballleaks2015.wordpress.com

 

ぼくが好きな本の一つに、FCバルセロナのマーケティング部門ディレクターだったエステべ・カルサーダ氏が書いた『SHOW ME THE MONEY! ビジネスを勝利に導くFCバルセロナのマーケティング実践講座』という本がある。

 

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同書はマーケティングの良著であると同時に、バルセロナの契約実務についても詳しく触れられており、サッカー好きの法律家にとっても必見の内容になっている(一応中学・高校サッカー部でした笑)。

 

そんな同書のなかでも契約書については、

契約に含まれている情報が機密性が高いことを、忘れてはならない。よって、契約書にアクセスできる人間を最小限に抑える

 と重要なTipsとして明記されている。

もちろんこれはサッカー業界に限るものではないが、サッカー業界は常にメディアや大衆の好奇に晒されている以上、クラブ運営やサッカー業界において特に秘匿性の高いものといえる。

 

そんな本来流出するはずのない契約書が流出していることもあり、サッカー業界は震撼しているのだが、フットボール・リークスは法律家の勉強の素材としては「宝の山」だ(メディアにとってもそうだろうが)。

同サイトで暴露されている契約書をいくつか読んでみると、超がつくほど有名選手の契約書であっても、多くは比較的平易な英語で、そこまで長文の契約書にはなっておらず、その点にまず驚かされる(これなら自分でも十分対応できそうだぞ、と少し夢を大きくする)。

メディアは同サイトで暴露される巨大な移籍金に目を奪われているが、法律家としては、細かい条項の工夫に目がいく。

例えば、

などがおもしろい。

また、

  • 2014年7月にレアル・マドリーからユベントスに移籍したアルバロ・モラタについて、レアルが買戻権を有しているとともに、レアルが買い戻しを決断した場合、モラタ選手のユベントスでの出場数に応じて移籍金が変動すること(公式戦の50%以上に出場した場合には3000万ユーロ、25-50%未満に出場の場合には2500万ユーロ、25%未満であれば2000万ユーロなど)、そして、ユーベがモラタをレアル以外のクラブに売却した場合にはレアルに8000万ユーロの違約金を支払うことが規定された条項

という例にもあるように、買戻権が付いている場合には、買戻しの際の移籍金が出場回数に連動する条項と、第三者のクラブに売却した場合の違約金がセットになる等の移籍契約(Transfer Agreement)においての定番の条項などがわかっておもしろい。

レアル関連の契約書のリークが多い一方で、バルセロナ関連の契約書が少ない(ネイマールの広告契約書くらい)のはエステべ先生の教えがあってのことなのだろうか(笑)。

 

FLの目的は何なのか。

活動の拠点はポルトガルだが、ドメインはロシアのようである。次の記事では、移籍金が不当に高騰する「FIFAが定める移籍システムの改革」が目的とされているが、どうだろうか。

www.footballchannel.jp

 

サッカー以外のスポーツ契約では、最近こんな記事もあった。

 

jp.vice.com

 

この記事から察するにMLBの契約書は、FLでリークされているヨーロッパのサッカー関連の契約書よりも詳細な長文な契約書になっていそうである。

この理由としては、映画『マネーボール』よろしく、統計・数字による分析が野球業界に浸透していることと、ヨーロッパはいずれも英語を母国語としていないからではないかと思われる(そもそもヨーロッパのサッカー関連の契約書が英語で締結されるという事実も新鮮ではある)。

 

いずれにしても、こういうスポーツ契約のビッグディールを人生で一度くらいは担当してみたいものである。

オープンアクセス(OA)とクリエイティブコモンズ(CC)

日本科学技術振興機構JST)において、「オープンアクセス(OA)とクリエイティブコモンズ(CC)」と題して講演してきました。

使用したスライドを公開しました。

 

www.slideshare.net

 

「オープンアクセス(OA)」の定義を定めたBudapest Open Access Initiative (BOAI)によれば、誰もが自由にアクセスできるだけではOAとしては十分ではなくて、自由に再利用できることが必要とされている。ここでは公開だけでなく、二次利用にも重きが置かれている。

クリエイティブコモンズでいうと、CC BYあるいはCC BY SAはこれに適合するが、これ以外はどうかは難しい問題。

オープンデータでも、デジタルアーカイヴでも、公開で留まらず、二次利用を意識しようね、という話。