2016年を振り返る
2016年のうちに何かポストしておかなければ。
ということで、今年の振り返りです。今日も10分で書く。
まず、今年の出来事として個人的に一番大きかったのは塩野入弥生弁護士の加入でした。
彼女はクレバーで、スピーディーで、ハートフルでもあって、弊所の海外案件の質を一段、いや数段上げてくれました。
他のジャンルではもう普通になってきている、同世代の、志を共にする仲間とのスピーディーな協働って、ロイヤーだとこういうことなんだなと感じています。
来年も彼女と刺激的な多くの案件で協働できることが楽しみです。
テレビもありました。随分昔のことのように感じます。
苦手なことをわざと自分にぶつけて無理やり変化させる、ということを自らに課す習性があり、変化できたのかはわかりませんが、色々勉強になったのはたしかです。
祈願だったリーガルデザイン・ラボの設立が実現できたのもうれしかった。
慶應義塾大学SFC研究所|ラボラトリ|リーガルデザイン・ラボ
これから5年、精力的に活動していきたいと思っていますので、ご支援のほどよろしくお願いいたします。
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さて、来年ですが、まず年始に自宅の引越しがありますが、仕事でもいくつかの楽しみなプロジェクトがすでに動き出しています。
また、顧問料も月6万円から7万円に増額です。
そして、そして、本来今年出るはずだった単著がフィルムアート社から2月に刊行されます。絶賛校正作業中なわけですが、これも世の中にどのように受け止めてもらえるのか、こわいような、楽しみなような気持ちです。
ということで、みなさま、良いクリスマス&良いお年をお迎えください。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。
星野源『恋』のライセンス?構造
ちょっと仕事に煮詰まったので、10分だけ逃避としてブログを書かせていただきます。
随分久しぶりの更新になってしまいました。
さて、私はテレビを持っていないのでまだ未見なのですが、星野源と新垣結衣が出演しているテレビ・ドラマ『逃げ恥(逃げるは恥だが役に立つ)』の主題歌である星野源『恋』の楽曲を「恋ダンス」動画に利用するかぎりは削除手続きをしない、という対応が話題となりました。
恋チュンとかファレルの『HAPPY』とかは明示的には言ってなかったのではないかと思います。
動画削除の手続きをしない条件として、
- 「恋ダンス」動画に利用すること
- CDや配信で購入した音楽を使用していること
- ドラマのエンディングと同様の90秒程度であること
- ドラマ放送期間中であること
- YouTubeであること
- 動画を営利目的では利用する等、利用方法が不適切であると判断されないこと
が挙げられています。
個人的には、
- 「動画削除の手続きをしない」ことと、楽曲の利用許諾を意味するのか
- 振付けの権利についてもライセンスされているのか
- YouTubeに限定していることはコンテンツIDとか収益確保が可能だからなのかなあ
- ドラマ放送期間後の取扱いはどうなるのか
みたいなあたりが気になりましたが、基本よく考えられていると思います。
なんというか、このあたりのオープン・クローズ戦略ってだいたいぼくのなかでも塩梅に答えが出てきたように思いました。
時間があったら、またまとめてみたいですね。
ということで10分経過してしまったので、このあたりで…。
『シン・ゴジラ』は製作委員会方式を終わらせるのか?
先週土曜に遅ればせながら『シン・ゴジラ』を観てきた。
※以下、若干ネタバレになる可能性があるので、まだ観ていない方は観てからご覧いただいたほうがよいかもです。
いつものごとく、前情報を極力入れずに、久しぶりの日本映画の大作を大いに楽しんだわけだが、あれだけの作品を観せられた後にエンドロールの最後で驚いた。
「©2016 TOHO CO., LTD.」
何に驚いたのかわからないかもしれないが、このクレジットから、『シン・ゴジラ』が日本の商業映画の99%を占めるという、いわゆる「製作委員会方式」ではなく、東宝の単独出資で製作された、ということがわかり、愕然としたわけである(製作プロダクションは東宝映画とシネバザール)。
「製作委員会方式」とは、例えば、映画会社、ビデオメーカー、テレビ局、出版社、広告代理店……等々、業界各社が製作費(または買い付け費)を分担して出し合い、出資比率に応じて収益を分配する、仕組みである。
http://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2009/01/23/22196.html
この仕組が多く採用される理由は、大きく分けて2つある。
- 一つは、得意分野を持っているプレーヤーが集まりオールスター型で委員会を結成することで、映画ビジネス全体の成功率が上がるという点、
- もう一つは、出資とその裏側であるリスクを分散できる点、
である。
また、株式会社などと異なり、設立のための面倒な諸手続きは不要であり(後述のとおり製作委員会契約書は作成しなければならないが)、維持費も少なく、運営方法も組合員らの合意で自由に決めることができるため、使い勝手がよく、気軽に利用することができるというメリットもある(その反面、各組合員の責任は無限責任であるため、事故などがあった場合のリスクは必ずしも小さいとは言えない)。
さらに、パススルー課税でタックスポイントが1つとなる点も、参加する企業にとってはメリットといえるだろう。
さて、『シン・ゴジラ』の東宝単独出資・製作をもって、東宝の『シン・ゴジラ』に社運をかける思いを感じたり、外に口出しさせない庵野秀明イズムを感じたり(エヴァの新劇場版は製作委員会方式を取っていない)している方もいるだろう。
ネットの声などを見るに、たしかに一部ファンから「製作委員会方式を採用しなかったことが『シン・ゴジラ』の成功の要因だ!」という声が少なからず上がっているようだ。
ぼくも、上記エンドロールでの衝撃から、この映画で執拗に描かれていた合議制の悪い部分に関する描写が、「あれは原発対応の政府だけでなく、メタ構造で製作委員会方式を揶揄しているのかも!」なんて考え、ホクホクして帰ったのだが…。
しかし…
よくよく冷静になってみると、本当にそうだろうか?と思いが徐々に強くなってきて、調べてみた。すると、東宝はゴジラ・シリーズのほとんどを単独出資で製作しているようだ。
明確なソースは確認できなかったが、経済産業省がとりまとめた「映像製作の収支構造とリクープの概念」においては、次のような記載がある。
「製作する」という行為における具体的なプレーヤーについて述べると、 現在、日本映画の大多数は、“製作委員会”によって作られている。こ の製作委員会システムの実状、あるいはその仕組のメリット/デメリットについては、後ほど説明するが、現在、日本で作られる商業映画の99%が、 この方式で作られていると言っていい。
こうした“製作委員会”に名を連ねる参加企業にはどんなところがあるか というと、映画会社や放送局、出版社、制作会社、ビデオメーカー、タ レントプロダクション、広告代理店等である。たいていの場合、こういった 会社がそれぞれ資金を持ち寄り、映画作品を作っている。
製作委員会以外では、どんなプレーヤーが存在するかというと、映画会社 や放送局が、ごく僅かなケースに限って、この立場を1社で担っている。その例としては、「ゴジラ」を製作する場合の東宝や、「踊る大捜査線THE MOVIE」「踊る大捜査線THE MOVIE 2」のフジテレビなどである。
http://www.meti.go.jp/policy/media_contents/downloadfiles/producer/New_Folder/2/09-14.pdf
これが事実だとすると、今回の『シン・ゴジラ』の成功は、必ずしも製作委員会方式を採用しなかったことにあるわけではないということになる。ゴジラ・シリーズのほとんどは製作委員会方式を採用していないにもかかわらず、シリーズすべてが成功しているわけではないからだ。
さて、そろそろ本題に入ろう。
日本映画の苦境を語る際に、みんな製作委員会方式のせいにしすぎ問題というのがある(と個人的には思っている)。
たしかに、昨今の製作委員会は、上記製作委員会方式の2つのメリットのうち、後者の出資とリスク分散ばかりを目的に組成されるケースが多い。その結果、会議はひらすら冗長で意思決定の遅さや鈍さが目に余るケースも出てくる。
製作委員会はどうしても共同事業であるがゆえ、意思決定の際、どうしても非常に時間と手間がかかって遅くなる。月1で行なわれることが多い会議や連絡会は多数決どころか全員一致を採用しているケースもあり、不毛なことこのうえない…。
また、出資を受ける際に、金融機関や大企業などの慎重な投資家であれば、出資をする前に製作委員会メンバー各社の信用調査を行うが、メンバーが増えれば増えるほど、信用調査にかける手間もかかり、投資が進まないということもある。
人気の漫画を原作としたり、人気アイドルをキャスティングしたり、脚本の是非に口を出してくることも少なくない。製作委員会メンバーはいずれもリスクを取りたくないからだ。
このような映画の制作段階に関するイニシアティブの問題に加え、映画の利用段階に関する問題も指摘されている。
欧米や中国のバイヤーから見た時、各権利ごとにいわゆる「窓口権」(メンバーは映画製作の「果実」として「放送番組販売」、「グッズ販売」、「DVD販売」、「ゲーム販売」、「配信販売」など、コンテンツ の(二次)利用の窓口を担い自己固有のビジネスを行う )を持っている会社が異なったり、著作権が一元管理されていない(製作委員会方式だと構成員の共有となるのが原則である)ことが、誰に利用許諾をしてよいのかわからず、日本映画の流通を阻害しているという指摘が度々なされてきた。
また、映画の二次利用に関し、製作委員会のメンバー間で利益相反が生じ、再利用が進まないケースも多い。
等など、製作委員会方式のデメリットはこれまで散々語られてきたし、それを乗り越えるためのSPC方式などの提案もなされている(が定着には至っていない)。
詳しくは福井健策弁護士の以下の記事などがネットで読めるもののなかでは詳しいので、気になる方はご一読いただきたい。
しかし、だ。
上記製作委員会方式のデメリットは、そのほとんどが製作委員会(組合)を組成する際の契約書で対応できると個人的には考えている(「製作委員会契約書」、「共同事業契約書」、「組合契約書」、「映画投資契約書」などと書かれている契約書が巻かれることが多い)。
個人的には、映画製作を「制作」段階と、「利用」段階に切り分けたうえで、
制作段階においては、
- イニシアティブを持つ会社(幹事会社という)を決定するのは当然として、意思決定の手順や方法等について誰がイニシアティブを持つのかを明確にする
- スケジュールまたはその決定の仕方をある程度明確にする
- 制作費や各種手数料の額を明確にする
利用段階においては、
- 「国内放送」、「国内ビデオグラム化」、「商品化」、「配信」だけでなく、「海外への番組販売」、「映画祭への出品」などの窓口も明確にする(「その他の利用」という風にお茶を濁すと原則に戻ってメンバー全員の同意が必要となってしまう)
- 「配信」の内容をより明確化する
- 各種手数料の額や分配手順
- 窓口リストの公開
などを定めることをおすすめしたい。
このように窓口権の所在やコンテンツの利用方法、各種手数料の額や分配手順、 幹事会社の権限、製作委員会としての意思決定の方法等について明確に定めておくことで、円滑でダイナミックな映画制作や利用が可能になる。
契約書でこれらの事項を規定するだけでも、製作委員会方式による映画製作は随分変わるのではないか。
また、上記製作委員会方式のメリットの1点目を忘れてはならない。
日本の邦画史上、最高の製作委員会方式の成功例と呼ばれる宮崎駿監督『千と千尋の神隠し』(ジブリ、日本テレビ、電通、徳間書店、ビエナビスタジャパン、東北新社、三菱商事の7社共同製作)にも見られるように、各分野に秀でたオールスターで構成されたときの製作委員会方式のメリットは計り知れない。
もちろん、製作委員会メンバーに上記のような事項を要求するだけの、力強いリーダーシップが必要である。
これはプロデューサーであったり、監督であったりするわけだが、製作委員会方式で成功した事例の裏には、このような力強いリーダーシップが必ず存在している。
というより、こういう存在がいれば、契約書の存在などどうでもなる。上記のような契約書は、こういう存在がいない場合にこそ活きるのかもしれない。
また、以上の製作委員会方式のメリットは、案件やプレイヤーが大型化すればするほど、成功しやすいという面は否定できない。小さな規模や無名なプレイヤーが同じように製作委員会方式を活用できるかは今後の課題だろう。
以上、釣りぎみのタイトルとして掲げた「『シン・ゴジラ』は製作委員会方式を終わらせるのか?」という問いかけに対するぼくの答えは「否」である。
いいかげん、日本映画がつまらない(と個人的には思っていないけど)理由を製作委員会方式に求めるのはやめませんか、みなさん。
製作委員会方式について、ぼくは見直すべきところは多いものの、日本型の映画製作として工夫する余地はまだまだあると思っている。
そりゃあできれば単独出資・製作がよりベターであるとは思うけど、日本映画を取り巻く状況を考えると、エヴァとかゴジラのように単独による出資を期待できるケースは多くない(そして、制作費を減縮する方向性が是とも言えない)。
製作委員会方式を語る際に、「製作委員会方式=悪」という思考停止に陥らず、日本型の映画製作の可能性として捉え直す議論をすべきだろう。
『シン・ゴジラ』の成功のあとで、「製作委員会方式=悪」のような短絡的な議論にならないようにするためにも、ここで指摘しておきたい。
【追記】
このようなことを書いていたら、昨日試写で観た今年邦画アニメベストの評判も高い、新海誠監督の待望の新作『君の名は。』のクレジットは、以下のとおり。
製作 - 「君の名は。」製作委員会
(東宝、コミックス・ウェーブ・フィルム、KADOKAWA、ジェイアール東日本企画、アミューズ、voque ting、ローソンHMVエンタテイメント)
つまり、バリバリの製作委員会方式だ。
もちろん、監督の新海誠、企画・プロデューサーで入っている川村元気のようなイニシアティブを握れるプレイヤーが入っていることは大きいが、製作委員会方式という手法自体が問題の根幹ではないことは明らかだろう。
それにしても、今年の東宝は『シン・ゴジラ』、『君の名は。』、そして『怒り』と年間ベスト級が続きますね。
自主規制について
昨日(6/19)に自主規制に関するイベントに出演しました。
その際に使用したメモを公開しておきます。
「コメント可」にしているので、もしよければコメントしてください。
小ささ(Lessness)について
「小さいけど、最高のチームを作りたい。」
インディペンデントであること、マイノリティであることに共感を持ってきた自分にとって、以前は「小さい」ことへのこだわりは常に強がりと裏腹だった。
でも「小ささ」が武器であるということに確信できるようになったのは、37シグナルズの『小さなチーム、大きな仕事』を読んだからだろう
(ぼくらの世代のクリエイターはこの本に影響を受けた人も多いはず)。
ディーター・ラムスの「Less is more」なんていう言葉が有名だけど、なぜ「小さい」ことがよいのか。
- 身軽で柔軟
- 意思決定が早い
- 複雑さ、冗長さを免れる
- 多数決からよいものは生まれない
- 小さいという制約から生まれる創造性
etc.
挙げれば色んな要素があるだろう。
もちろんスケールメリットがある分野も存在する。
でも、ぼくが「小さい」ことにおいて一番重要なことだと思っているのは、今日あらゆる分野において、複雑化・大型化が志向されるなかで、「小さい」ことは選択であり、強靭な意思をもって獲得するものであるということだ。
このような「小さい」ことの利点は、法律家のような専門職にこそ当てはまるのではないか、というのがぼくの仮説であり、ぼくはこの仮説に基いてシティライツ法律事務所を経営している(そう何を隠そう、この本がネタ本です)。
不完全の美しさ。日本の「ワビサビ」のエッセンスでもある。
ワビサビの価値は、見た目の美しさを超えた特徴と個性にある。
物事の中にあるひびや傷も否定されるものではないと考える。
それはまたシンプルさでもある。
(前出『『小さなチーム、大きな仕事』より)
これは、もう1つの日本の可能性?
繰り返しになるけども、小さいけど、最高のチームを作りたい。