水野祐(@TasukuMizuno)のブログ

弁護士ですが、「リーガル・アーキテクト」という意味での法律家というつもりで生きています。Twitter: @TasukuMizuno / Lawyer / Arts and Law / Creative Commons Japan / FabCommons (FabLab Japan) / All tweets=my own views≠represent opinion of my affiliations

新しい法律事務所を立ち上げました

 

2017年12月1日。

無事にこの日を迎えることができました。

 

2013年1月にシティライツ法律事務所を開設し、もうすぐ5年になります。

その間、パートナーの平林が参画し、アソシエイトとして倉﨑が入所し、USのアライアンス・パートナーとして塩野入が加わってくれる、という幸運に恵まれました。

とはいえ、弊所は「どの顧客よりもベンチャーでありDIY」(by 倉﨑)という言葉に象徴されるように、従来の法律事務所では考えられないくらい軽微なインフラで、(よく言えば)軽やかさと機動性を重視してやってきました。

手前味噌ながら、それはおそらく、この時代において(限定された範囲かもしれませんが)一定のニーズを捉え、一定の新しい価値の浸透に寄与できたのではないかなと自負しています(もちろん奇特なクライントとメンバー全員の活躍によるものです)。

しかし、弊所の体制の「軽やかさ」とは裏腹に、おかげさまで弊所がサポートできる案件の大きさや種類は多様になってきました。

既存の状況や価値に対する「カウンター」としての立ち位置が、 ひょんなことから世間から意外にも普通に(カウンターとしてではなく)正面から求められてしまうようなことも経験する機会が増えてきました。

そのような状況のなかで、開設から5年というこのタイミングで、シティライツ法律事務所を一度ぶっ壊し、新しいパートナーと、新しいチームで、新しい法律事務所を作ることに決めました。

そのパートナーとは、私と平林……そして伊藤雅浩です。

 

伊藤(と呼び捨てするのはまだ違和感もありますが笑)は、理系、アクセンチュア出身で、システム、ソフトウェア等のITや企業法務全般で活躍している弁護士です。

実は2年以上前に、とあるBarで一緒に飲んでいたときに、「いつかタイミングが合えば一緒にやる可能性はありますか?」と聞いたのですが、そのときは鼻で笑われてしまったんですよね(苦笑)。

それでも、その時のことを憶えててくれたみたいで、今回伊藤が所属事務所から独立するタイミングで声をかけてくれたのが、新事務所を立ち上げるきっかけになりました。(独立の話を聞いたBarがたまたま2年前に一緒に飲んだ同じBarだったという奇遇にもびっくりしました笑)。

上記のようなことを漠然と感じていた私は、弊所の存在を「カウンター」から「次のスタンダード」に飛躍させる機会として、この話を捉えたわけです。

 

とはいえ、「次のスタンダード」を志向するとしても、安易な大規模化を目指すわけではまったくありません。

AI、ビッグデータ、IoT、ビットコインブロックチェーン・分散台帳技術、ゲノム編集、量子コンピューターなどの目まぐるしく台頭する新技術を含むITやエンターテインメント分野に属する企業または個人をサポートする弁護士、そして法律事務所として無駄な規模は機動性を落とすだけである、というがメンバーの一致した意見です。

 

個性のある小さなチームで

常識を疑いながら

素早く

質の高い仕事をやって

クライアントの満足とともに

社会的なインパクトを生み出していく

自分たちもそれを大いに楽しむ

このチームの一員であることを誇れる

 

最近よく出す言葉ですが、これは新事務所のドメインを取得して最初にメンバー全員に送ったメールに書いたものです。

その分野に対する深い洞察とビジョンを前提とした、ハンズオンでスピーディーかつ良質なリーガルサービス。

次のリーガルサービスのスタンダードはそのようにあるべきではないでしょうか(すでにそうなってきていると思いますが)。

インフラという点では、従来パートタイムの秘書がいるのみでしたが、常勤のマネージメントとして深谷正憲が加わります。

法律事務所のバックエンドというと秘書や事務員という職能が慣例化していますが、ここにもそれらの存在を超えた「マネージャー(Office Manager)」という存在を定義し、新しい法律事務所の経営を模索したいと考えています。



ということで、伊藤、平林、水野、倉﨑、塩野入、深谷という6名で新しい法律事務所を立ち上げます。

事務所も南青山から千駄ヶ谷に移転します(建物名がこれまた奇遇にも「スカイハイツ」から「ニュースカイハイツ」になりました笑)。

事務所の名前は……「シティライツ法律事務所」です。

 

名前、変わってないやん!と突っ込みが入ったと思いますが、事務所の名前なんか、どうでもいいんです。

名前の変更も検討しましたが、新しい法律事務所名としてシティライツよりもよい名前が出てこなかっただけです。

名前や弁護士の格調みたいなものへのこだわりなど過去の遺物であり、だからこそ、私は伊藤・深谷の「参画」ではなく、新事務所の「立ち上げ」だという点にこだわっています。

 

新事務所のウェブサイトはこちら

www.citylights.law



ここで書いたことは、私から見えている景色であり、メンバーそれぞれ違う背景、意見、景色があると思います。

それでも、この時代に、このメンバーが、違う景色を見ながら、同じ事務所で、緩やかに同じ方向を向いて生きていく、という決断をしたことの不思議さに、私は感動してしまうのです。

うまくいくことばかりではないと思いますが、人生や物事にはさまざまなタイミングがあり、感性や能力などが合致する人と必ずしも一緒にやれるか、いられるかなんてわからないですよね。

この一度しかない航海を、このチームで挑める幸運を存分に味わい、楽しみたいと思います。

ということで、新しいシティライツ法律事務所にご期待ください!

(私たちと一緒に働いてみたい仲間も絶賛募集中です)

 

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photo by Munemasa Takahashi

ステラ・マッカートニー事件判決について原告代理人が思うこと

原告代理人を務めたステラ・マッカートニー事件が3年近くの時を経て、原告敗訴で確定し、終結した。

本来、敗訴した側の代理人弁護士に語る言葉などない。

しかし、日経アーキテクチャに掲載された下記記事(有料記事)に対して様々な意見が集まっていることや、本件は当初から社会に問題提起をするために始まった訴訟であるから(法律論としては敗訴する可能性も相当程度あることを見越していたから)、原告代理人の一人として少しだけ言葉を足すことをお許しいただきたい。

 

kenplatz.nikkeibp.co.jp

 

原告設計が表現ではなく、アイデアであるとされた点について

本件の争点は、原告による設計資料(上記記事のなかでその一部が確認できる)および模型から成る原告設計が著作物に該当するか否かに集約される。

著作物性は、①(アイデアではなく)具体的な表現であり、かつ、②(ありふれた表現といえず)創作性を有する場合に認められる。

地裁、高裁判決は、設計資料および模型からなる原告設計は、外観ファサード白色の同一形状の二層三方向の立体的な組亀甲柄を等間隔で同一方向に配置、配列するとのアイデアを提供したものにすぎないと認定した。

つまり、原告は、二次元の設計資料および三次元の模型という具体的な形で原告設計を提案しているにもかかわらず、これが具体的な表現とまでいえない認定された(上記①の論点)。

主な理由は、設計資料にピッチや密度、幅について数値の記載がないこと等により具体性が欠けていることである。

この点が法律論としての地裁・高裁判決の最大の問題点だと考えるが、具体的な数値による寸法がないとはいえ、おおよそのサイズがわかる形で一般人が看取することのできる本件建物の外観を、視覚的に具体性をもった資料や模型から成る原告設計が著作権法上の「表現」にすら該当しないという判断は理解に苦しむ(後述するように、ありふれた表現であるという認定であればわからなくもない)。

ピッチや密度、幅についての具体的な数値は、あくまで紙面(二次元)から三次元にする際の制作方法に関する記載であって、これらの記載がなくとも、紙面上で具体的な形状が示されていれば、創作者の思想または感情が表(現)われており、感得できる。

さらに、本件では、模型によって三次元にした外装スクリ ーンの形状も具体的に制作していたのであって、ピッチや密度、 幅について具体的な数値の記載が図面上されていなくとも、具体的な外観ファサードに関する創作者の思想または感情は感得できるので、少なくとも「表現」ではあるというべきではないだろうか。

地裁、高裁判決は、建築という機能的な要素が多くを占める創作物のなかで、外観ファサードという最も美観が重視される要素(言葉を換えれば著作権の保護対象とされる要請の強い要素)についても、建物を観る一般人の視点から表現上の本質的特徴を検討するのではなく、設計図上の数値の記載といった本件建物外観の本質的特徴とはいえない、制作方法や機能的・工法的な面を重視するものであって、「表現」を保護する著作権法の精神に悖るものではないか、というのが原告代理人の見解である。

建築、殊に商業施設においては、外観ファサードが集客に結びつくとして、大手ゼネコンや設計事務所は外観ファサードのデザインにしのぎを削っている。

建築業界において「ファサードの時代」などと言われて、すでに久しい。

このような時代背景のなかで、大手ゼネコン・設計事務所はそのデザインのコンセプト、アイデア、基本設計を個人のアトリエ系の建築士やデザイナーに求めることも多い。

本件では、仮に具体的な設計資料および模型から成る原告設計が、具体的な寸法の記載や精緻な全体模型がないことを理由に著作物性が認められないとすれば、このような大手のフリーライドを容易に看過することになると訴えたが、残念ながら裁判所は認めなかった。

 

ありふれた表現か否かについて

地裁判決では、上記①の論点に加え、仮に原告設計が具体的な表現だとしても、ありふれた表現であると認定している(上記②の論点)。

この点については、原告は、

①具体的な立体形状の組亀甲柄を外観ファサードに適用したこと

②外観ファサード上部の色が白一色であること

③格子をなる全ての直線には、中央の線などの模様が一切ないこと

④格子が直線からなっており各直線の太さが一定であること

⑤正六角形を連ねているが、編み込みを立体化することによって、頂点とそこから伸びる3方向の直線が最小構成単位として目立つようにデザインされていること

⑥上記最小構成単位がそれぞれ分離しているのではなく、一面のパネルとして連続しており、かつ編み込まれたように2層構造となっていること

⑦素材としてアルミダイキャストを選択したこと

⑧正六角形の各頂点について、外側の頂点と内側の頂点が生じ、その間に隙間を生じている

⑨頂点が平らにしたこと(別の表現としては、頂点を尖らせたりすることが考えうる)

⑩外側に頂点を置く組亀甲の最小構成単位と内側に頂点を置く最小構成単位が重なってできた隙間の裏側から光をあてているため、当該隙間から光が出ること

⑪建物外観上部のみを立体形状の組亀甲にし、下部のガラス面は残していること

⑫立体形状部分で建物の北西から、南西、南東の一部まで周りを覆っていること

⑬建物外観上部の立体形状部分が建物外観下部よりも道路側に出た形で設置されていること

という13項目に原告の設計・デザイン業務を分解し、原告代表者が様々な選択肢があるなかで原告設計のデザインを選び取っていった過程の主張立証を試みた。

だが、裁判所はこれを採用しなかった。

正直に言って、訴訟提起前から、ありふれた表現であるとして、この論点で著作物性が認められない可能性は相当程度あると考えていた。

個人的には、設計資料および模型から成る原告設計は、「具体的な表現」であるが、ありふれた表現であるか否かという点については両論あり得ると考えている。

ただ、ありふれた表現であるとするならば、上記13項目に及ぶ選択と判断の過程について、それらがありふれたものであることを判決には説得的に論じてほしかった。

地裁判決によれば、本件建物は建築の著作物であると認定されているが、裁判所は原告設計に表れている特徴を除いたどの部分に創作性な表現をみたのだろうか。

それは著作権法における創作性を評価する対象として正しかったのであろうか。

余談になるが、本件建物の横に建てられた、ヘルツォーク・ド・ムーロンがデザインし、被告竹中が実施設計・施工したミュウ・ミュウ青山店のヘルツォーク&ド・ムーロンによるスケッチや具体的寸法が入っていない簡易図面のようなものが冊子の形で存在している。

裁判所としては、そのスケッチもやはり「表現」ではなく、著作物性ではないのだろうか。

ミュウミュウ青山店については、被告竹中のウェブサイト等において、「デザインコンサルタント」としてヘルツォーク&ド・ムーロンのクレジットが表示されている。

被告竹中のウェブサイトには「基本設計」のクレジットはないが、あえて「デザインコンサルタント」という言葉を使っているところをみると、おそらくヘルツォーク&ド・ムーロンミュウミュウ青山店においては基本設計に近い部分まではやっているだろうが、基本設計までは担当していないのではないだろうか(これは筆者の推察である)。

 

www.takenaka.co.jp

 

原告設計に著作物性を認めることの弊害について

仮に原告設計に著作物性を認める結論を採用すると、 広く建物の外観に著作物性を認めることになり、似たような建物が建築できなくなり、写真や映像に利用する場合に逐一著作権法の権利制限規定に該当するかを検討しなければならなくなる等、不都合がある のではないか、という批判はあり得るだろう。

しかし、当然のことながら、原告は、原告設計に著作物性を認めることを主張しているのであって、 建物の外観一般に著作物性を認めるべきと主張したものではない。

また、著作権法46条は、「建築の著作物」について「建築により複製し、又はその複製物の譲渡により公衆に提供する場合」(同第2号)を除いて、利用することができると定めている。

すなわち、原告設計において表現された建物について「建築の著作物」性を認めたとしても、制限されるのは同一の建物を建築し、又はそれを譲渡する行為のみであり、不都合は少ない。

 

類似性について

高裁判決では、地裁判決では明示的に述べられていない類似性についても、「仮に原告設計資料および模型に現れた外装スクリーン部分の表現そのもの(図案)に関して、「建築の著作物」に限らず、何らかの著作物性(創作性)を認めうるとしても」という仮定文で、触れている。
高裁判決は、立体格子の柄、向き、ピッチ、幅、隙間、方向の相違から「全体として表現や見る者に与える印象が全くことなる」と判断しているが、本件建物に接する一般人から見て本当にそう言えるのか、疑問である。
高裁判決が評価しているポイントはデザイン上の技術的工夫であったり、視覚的な洗練さや改良にあたる部分であるからである(もっとも、地裁・高裁の著作物性の判断を前提とすれば、類似性についてもこのような判断になるのは理解はできる)。
 

共同著作物の主張について

これは主に法律家向けになるが、上記記事では、原告は共同著作物の主張のみをしているように読めるが、実際には共同著作物の主張に加えて、二次的著作物の主張や外観ファサードのみを単なる著作物と捉える主張も主張している。

すなわち、「建築の著作物」(著作権法第10条第1項第5号)の一部であるという主張とともに、外観ファサード単体をとって「美術の著作物」(同法第10条第1項第4号)あるいは単に「美術」(同法第2条第1項第1号)の範囲に属する著作物であるという主張をしている。

共同著作物を第一の主張に構成した点については、共同の意思を含む共同性認定のハードルを考えれば批判があるところだと思われる。

だが、訴訟戦略として、裁判所が外観ファサードのみをシンプルに著作物として認定してくれるか、という点について、私はどうしても否定的にならざるを得なかった。

一方で、建物全体の一部として外観ファサードとして捉えるほうが自然であるし、建物全体として著作物であるという点は比較的認められやすいと考え(実際に第一審は(なぜか事実認定部分において)本件建物全体について建築の著作物性を認定している)、建物全体の著作物性に目を向けさせたうえで、その全体性の「残像」により、二次的著作物を認定させたい、というのが原告代理人が描いた訴訟の出口戦略であった(共同性は厳しいと考えていた)。

ただ、先述したとおり、原告設計の著作物性の認定において、図面の著作物性の判断要素に見られるような機能的側面を重視して認定されてしまったことに鑑みれば、結果論としては、外観ファサードのみを捉えて著作物性を主張したほうがよかったのかもしれない(上述のとおり、外観ファサードのみを捉えた著作物性の主張もしているので、これによって結果が変わったかと言われればそうではないのだろうが、少なくとも寸法云々で「表現」ですらない、と切られる結果にはならなかったかもしれない)。

 

和解勧告に応じなかった被告竹中

もう一点、どうしても触れておきたい点がある。

本件は、著作者人格権侵害に基づく差止や謝罪広告の請求とともに、慰謝料として300万円の損害賠償を請求しているが、お金を求める訴訟ではなかった。

地裁では、裁判所による和解勧告がなされたが、その内容は、金銭的補償はなし、だが被告竹中に対して外観ファサードについて設計またはデザイン原案でもいいので、原告について何らかのクレジット表記を求める、という内容であった。

本件では、被告竹中のチーフデザイナーが原告設計資料を打ち合わせの場で確認したこと、二層三方向の立体的な組亀甲柄を等間隔で同一方向に配置するデザインはこの打ち合わせ前の被告竹中の提案には出てきていなかったこと、施主が被告竹中に対して外観ファサードに組亀甲柄のデザインを採用するよう改めて依頼したこと、は少なくとも事実として認定されている。

実際、原告が望んでいたことは本建物の設計・デザインについて被告竹中の関与を否定し、我が物にしたいということではなかった。

原告代表者が最終的な本件建物の設計・施工の完成度を高く評価していることは下記インタビュー記事でもわかる。

 

kenplatz.nikkeibp.co.jp

 

原告が求めたことは、一人のクリエイターとしてデザインが高く評価された本件建物の一部に関与・寄与したことを認めてほしい、というただそれだけだった。

しかし、被告竹中はこれらの和解勧告に一切応じなかった。

このような原告の些細な要望を法的に叶えるためには、本件建物の外観ファサードもとい原告設計の著作物性が肯定される必要があるというのが、著作権法という法律の限界である。

上記和解勧告にも一切応じない被告竹中が、そこまでして守りたかったものは果たして何だったのだろうか。

そして、そのようにして守ろうとしたものは、本当に守れたのだろうか。

 

さいごに

本件がここまで拗れてしまった原因が、施主の振る舞いにあることに異論は少ないだろう。

念のために付言すると、施主はエーエイチアイという会社であり、ステラ・マッカトニーは単なるテナントである(ある意味で本件の最大の被害者とも言える)。

設計や監修として外部で関わるクリエイターにとって、事前に権利の所在やクレジット等について取り決めを行い、それを契約書などの書面で残しておくことの大切さもまた自明である(ヘルツォーク&ド・ムーロンの契約書にはクレジットに関する記載がしっかり入っているはずだ)。

日本では珍しく建築に関する著作権が争われた本件が、今後幅広い議論の契機となることを望む。

それこそが本件訴訟の目的だったからである。

 

「少し言葉を足す」と言いながら、結局だいぶ長くなってしまった。

最高裁への上告はしないことを決めた最後の打ち合わせで、私は原告の代表者である照井さんに自らの力不足を詫びた。

照井さんは「裁判所の判断には失望したけど、テレビで問題提起もできたし、悔いはない」と即答してくれた。

その清々しさと本件の経験を内に刻んで、私も前を向いて進んでいきたい。 

デザイナー鈴木一誌さんとの対話

雑誌『アイデア』378号掲載されたデザイナー鈴木一誌さんとの対談記事「ポストインターネット時代の法とデザイン 知恵蔵裁判からクリエイティブ・コモンズまで」がウェブ公開されました。

今週末発売の『アイデア』379号の鈴木一誌特集の予告編としての公開です。

 

www.idea-mag.com

 

 

鈴木一誌さんはデザイナーですが、著作権法を勉強した方であれば馴染みの深い「知恵蔵事件」の原告です。

この対談は知恵蔵裁判を今の視点から振り返る、という企画だったのですが、そこには収まりきらない鈴木一誌というデザイナーの衰えを知らない思考と懐の深さが垣間見れる内容になっていると思います。

対談にあたって、絶版になってしまっている太田出版刊行による『知恵蔵裁判全記録』という本を読んでいきました。

この本はとんでもない本で、知恵蔵裁判の地裁と高裁の全裁判記録と原告側の打ち合わせメモ等の書面のやり取りを、戸田ツトム(9/8追記:鈴木一誌さんご自身)による装丁・デザインで全網羅して収めてしまうという本です。

被告・朝日新聞代理人は内藤篤弁護士。

原告側と内藤弁護士の詩情溢れる書面の応酬が堪能できます。

 

記事について、若干補足させてください。

知恵蔵裁判で鈴木さんはぶっきらぼうな言い方をすれば「デザインとは編集行為である」という主張をしました。

そこでポイントになる「編集著作物」という概念について、記事中、私が「著作権法が編集著作物に著作権を認めることはアイデア保護に踏み込んでしまっているので反対だ」という旨の発言が出てきます。

これは、若干ミスリーディングな発言になっていて、私も、著作権法が「編集方針』というアイデア自体を保護しているのではなく、「編集方針に基づく素材の選択または配列による具体的な表現」を保護していることは理解しています(いわゆる百選事件など)。

それでも、その「素材や配列に拠よる具体的な表現」がシンプルになればなるほど、「編集方針」なのか、その編集方針に基づく「素材の選択または配列による「具体的な表現」なのかの境界は曖昧になってきます。

特に編集著作物の対象範囲は、他の著作物と比較して広範囲に及びやすいので、シンプルな具体的表現を積み重ねが、編集方針と重なってきやすいわけです。

編集著作物の難しさとおもしろさがここにあります。

 

さて、話しを戻して、鈴木一誌さん。

最近エッセイ本も出されました。

次号『アイデア』と一緒にお楽しみください。

 

 

自分はその深さまで思考できているか。

何歳になっても思考し続ける鈴木さんの姿勢に感銘を受けた対談になりました。

鈴木さん、ありがとうございました。

『インターネットは自由を奪う』解説を書きました

『インターネットは自由を奪う』という本の解説を書かせていただきました。

書籍の解説を担当させていただくのは、初めての経験になります。

 

インターネットは自由を奪う――〈無料〉という落とし穴

インターネットは自由を奪う――〈無料〉という落とし穴

 

 

この本には「現在のインターネットは大失敗である」ということが、その大失敗を牽引?する米国IT企業とその経営者たちに対する罵詈雑言とともに、ひたすら書かれています。

このような主張は以前からなされてきましたが、「ポスト・トゥルース」などという言葉が使われるようになったここ1、2年で急速に広がってきているように感じられます。

インターネット否定論者ではなく、私を含むインターネットにある種の夢をみてきた人や、これからのインターネット・カルチャーやビジネスに興味がある人は、一度は目を通しておくべき内容になっていると思います。

それは、この本に書かれている内容に対する考慮なしに、今後のインターネット・カルチャーやビジネスは存在し得ないと考えられるからです。

 

本の解説を書くために本を読むという経験はなかなか興味深かったです。

普段、私の読書はスピード重視。

正確性が求められる法律系の調べ物の場合は別ですが、その他のジャンルの場合には、あえて「深く」読みません。

そのような場合、自分の思考や専門性に対しインスパイアされる部分があるかどうかが読書の価値になるので、深く読まないほうが誤読などが誘発できていいんです。

一方で、時間をかけて、深く潜っていく読書も大切で、そのような読書が足りていないとも感じています。

時々は、文章を書き留めながら読書するという機会を持ちたいものです。

しばらく充電します

講演や取材などを半年間、ストップしようと思います。

現在ご依頼いただいているものはやらせていただきますので、実質的には今年の下半期がお休み期間ということになるでしょうか。

 

拙著が出版されたこともあり、講演や取材等のご依頼をいただくことが増えておりますが、一人でお話しする分には拙著をご覧いただくのが過不足なくご説明できる気がします。

同じこと繰り返し話していても飽きますし、やはり一人でお話ししていても自分が得るものは少ないなと実感する今日この頃です。

 

また、様々な事象が重なり、どうも最近自分自身の仕事や活動がしっくりきていないところがあるというか、ボタンをかけちがっているような感触があります(これは外からはあまり感じられてないと思いますが)。
一度自分自身の仕事や活動を冷静に見つめ直したい、という気持ちが強くなってきており、しばらくインプットに専念したいということです。

 

と言っても、しばらくはご依頼いただいている講演や取材等がありますし、半年間なんてあっという間ですよね。
あと、SNSやブログは続けるつもりなので、あんまり変わらないかもしれないですね。

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ミュージック・マガジン拙稿「音楽業界におけるライツ・ビジネスとお金のしくみ」の参考文献

少し前の話しになりますが、ミュージック・マガジン2017年4月号の「【特集】JASRACと音楽著作権」に「音楽業界におけるライツ・ビジネスとお金のしくみ」という記事を寄稿させていただきました。

 

本稿は東條岳弁護士による「アプリxウェブサービスx音楽著作権の最新法務」という講演資料を参考資料として作成させていただきました。したがって、概念の整理や問題意識の一部はその資料に拠っています。

本来、参考文献として掲載させていただくべきでしたが、誌面の都合もあり掲載できませんでしたので、改めてこちらでご報告させていただきます。

東條先生、ありがとうございました。

法のデザイン

初の単著を上梓することになりました。
タイトルは「法のデザイン」。
 
 
法的な視点から、創造性やイノベーションを阻害せず、むしろ加速させるためにできることがあるのか、できるとしてそれはどのようなことか、どのような点に注意しなければならないのか、ということについて考えています。
その結果、行き着いたのが「リーガルデザイン」という概念です。
リーガルデザインとは、「法の機能を単に規制として捉えるのではなく、物事を促進・ドライブしていくための「潤滑油」のように捉え、国家が一方的に定めるルールに従うのではなく、私たち私人(しじん)の側から自発的にルールメイキングしていくという考え方であり、手法のこと」(本書より)を指す造語です。
 
遡れば、それこそ学生時代から、いまはLINEにいる永井幸輔と、こういった法によるデザインの可能性について議論していました。
その後、しばらく忘れていましたが、2011年に私が共同代表を務めるArts and Lawが東京都と共催した「Photo and Law」、「Design, Architecture and Law」という連続講座のなかで、お呼びしたホンマタカシさん、吉村靖孝さん、田中浩也との対話のなかで、法的なデザインの可能性が、再び私のなかでクローズアップされていきました。
このあたりのことは、あとがきにも書いているので、ご覧いただければ幸いです。
 
あとがきに書けなかったこともあります。
本書の執筆の動機となったものの一つに、鈴木健さんによる『なめらかな社会とその敵』があります。
健さんの『なめ敵』は、その内容や各論点に対する賛否は置いておいて、大いにインスパイアされるものでした。
一方で、『なめ敵』にこれだけ刺激的なことが書かれているにもかかわらず法分野からこれに対するレスポンスが聞こえてこないことに歯がゆさがありました(もちろん無学な私が知らないだけ、という可能性もありますが)。
さらに、本書を書き進めているうちに、法分野からレスポンスが欠けているのは『なめ敵』に対してだけでなく、インターネット・カルチャーまたはビジネス全般に対して言えることだ、という思いが強くなってきました。
もちろん、インターネットに関連する法律や契約に関する解説書は、インターネット・ビジネスの発展とともにたくさん登場しています。
しかし、アフターインターネット時代の法分野に関するビジョンは、ここ日本では欠如したままです。
本書は、このような観点から、無謀にもレッシグから鈴木健をつなぐということを私なりに試みたつもりです。
あらゆる境界を融解する情報化社会と境界を前提とした(現状の)法との矛盾、衝突が臨界点に達しつつあることを感じざる得ない昨今の状況において、無謀さに怯んでばかりではいけないと思い、筆を進めました。
 
ここまで書いてきたことからもおわかりのように、『法のデザイン』は小難しい内容もありますし、決して万民に読まれるような本ではありません。
出版社からは怒られてしまうかもしれませんが、読者を選ぶ本ではないかと思います。
スタートアップの起業家、官公庁や大企業においてもがいている役人やビジネスマン、新しい表現を生み出そうとしているアーティストやクリエイター、既存の法分野のイメージに違和感を感じている法分野に興味のある学生など、表現活動でも、ビジネスでも、これまでにない新しい価値を社会に提示したいという思いを抱えた人。
この本は、そういう思いを抱えた未来のイノベーターに読んでもらいたくて書いた本です。
本書がそういった読まれるべき人にしっかり届くことを筆者としては願って止みません。
 
さて、発売日の2/24まで、あと1週間。
本書がみなさんにどのように読まれるのか、社会にどのように受容されるのか、楽しみです。

 

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