フットボール・リークス(Football Leaks)とスポーツ契約
「ウィキリークス」ならぬ、「フットボール・リークス」(以下「FL」)というウェブサイトがサッカー業界を揺るがしている。
FLは、サッカー業界の秘密情報を暴露するウェブサイトであり、特にC・ロナウド、ギャレス・ベイルやメスト・エジルなどの著名選手の契約書(移籍契約書やマネジメント契約書など)がそのまま流出している点で業界にインパクトを与えている(日本人では田中順也の柏レイソルからスポルディング・リスボンへの移籍契約書とその際のコンサルティング契約書が流出している)。
footballleaks2015.wordpress.com
ぼくが好きな本の一つに、FCバルセロナのマーケティング部門ディレクターだったエステべ・カルサーダ氏が書いた『SHOW ME THE MONEY! ビジネスを勝利に導くFCバルセロナのマーケティング実践講座』という本がある。
同書はマーケティングの良著であると同時に、バルセロナの契約実務についても詳しく触れられており、サッカー好きの法律家にとっても必見の内容になっている(一応中学・高校サッカー部でした笑)。
そんな同書のなかでも契約書については、
契約に含まれている情報が機密性が高いことを、忘れてはならない。よって、契約書にアクセスできる人間を最小限に抑える
と重要なTipsとして明記されている。
もちろんこれはサッカー業界に限るものではないが、サッカー業界は常にメディアや大衆の好奇に晒されている以上、クラブ運営やサッカー業界において特に秘匿性の高いものといえる。
そんな本来流出するはずのない契約書が流出していることもあり、サッカー業界は震撼しているのだが、フットボール・リークスは法律家の勉強の素材としては「宝の山」だ(メディアにとってもそうだろうが)。
同サイトで暴露されている契約書をいくつか読んでみると、超がつくほど有名選手の契約書であっても、多くは比較的平易な英語で、そこまで長文の契約書にはなっておらず、その点にまず驚かされる(これなら自分でも十分対応できそうだぞ、と少し夢を大きくする)。
メディアは同サイトで暴露される巨大な移籍金に目を奪われているが、法律家としては、細かい条項の工夫に目がいく。
例えば、
- 2013年夏にレアル・マドリーからアーセナルへ移籍したメスト・エジルについて、両クラブ間で締結された契約においては、「スペインのクラブ」がエジルを獲得しようとした場合には、レアルに48時間の優先交渉権が付与されている条項(レアルのバルセロナ対策だと見られている)
などがおもしろい。
また、
- 2014年7月にレアル・マドリーからユベントスに移籍したアルバロ・モラタについて、レアルが買戻権を有しているとともに、レアルが買い戻しを決断した場合、モラタ選手のユベントスでの出場数に応じて移籍金が変動すること(公式戦の50%以上に出場した場合には3000万ユーロ、25-50%未満に出場の場合には2500万ユーロ、25%未満であれば2000万ユーロなど)、そして、ユーベがモラタをレアル以外のクラブに売却した場合にはレアルに8000万ユーロの違約金を支払うことが規定された条項
という例にもあるように、買戻権が付いている場合には、買戻しの際の移籍金が出場回数に連動する条項と、第三者のクラブに売却した場合の違約金がセットになる等の移籍契約(Transfer Agreement)においての定番の条項などがわかっておもしろい。
レアル関連の契約書のリークが多い一方で、バルセロナ関連の契約書が少ない(ネイマールの広告契約書くらい)のはエステべ先生の教えがあってのことなのだろうか(笑)。
FLの目的は何なのか。
活動の拠点はポルトガルだが、ドメインはロシアのようである。次の記事では、移籍金が不当に高騰する「FIFAが定める移籍システムの改革」が目的とされているが、どうだろうか。
サッカー以外のスポーツ契約では、最近こんな記事もあった。
この記事から察するにMLBの契約書は、FLでリークされているヨーロッパのサッカー関連の契約書よりも詳細な長文な契約書になっていそうである。
この理由としては、映画『マネーボール』よろしく、統計・数字による分析が野球業界に浸透していることと、ヨーロッパはいずれも英語を母国語としていないからではないかと思われる(そもそもヨーロッパのサッカー関連の契約書が英語で締結されるという事実も新鮮ではある)。
いずれにしても、こういうスポーツ契約のビッグディールを人生で一度くらいは担当してみたいものである。
オープンアクセス(OA)とクリエイティブコモンズ(CC)
日本科学技術振興機構(JST)において、「オープンアクセス(OA)とクリエイティブコモンズ(CC)」と題して講演してきました。
使用したスライドを公開しました。
「オープンアクセス(OA)」の定義を定めたBudapest Open Access Initiative (BOAI)によれば、誰もが自由にアクセスできるだけではOAとしては十分ではなくて、自由に再利用できることが必要とされている。ここでは公開だけでなく、二次利用にも重きが置かれている。
クリエイティブコモンズでいうと、CC BYあるいはCC BY SAはこれに適合するが、これ以外はどうかは難しい問題。
オープンデータでも、デジタルアーカイヴでも、公開で留まらず、二次利用を意識しようね、という話。
OCWとクリエイティブコモンズ
JOCWにおいて、「OCWとクリエイティブコモンズ」について話ししてきた。
少人数の勉強会形式ではあったものの、北海道大学、東京大学、東京工業大学、名古屋大学、京都大学、大阪大学からキーパーソンが集まった会で、議論のレベルも高かった。
OCWとは、「Open Course Ware」の略で、米国MITで始まった、大学等で単位取得の対象となる講義とその関連情報をインターネット上で無償公開する活動である。
同じくEラーニングとしては、MOOCs (Massive Open Online Cources)とかOER (Open Educational Resources)とかもあるが、OWCは「正規に提供された講義」であるという点がポイントであると理解している。
クリエイティブコモンズの話としては、教育資源の分野で採用数が伸びていることが最新のレポートでも明らかになっていることをお伝えした。
質問は、CCライセンスの実際の使い方(表示の仕方など)や、著作権法上の「引用」などに集中した。
OCWは、コンプライアンスが叫ばれる大学の公式資料となる以上、資料の権利関係については特にセンシティブにならざるをえないようだ。クリエイティブコモンズの話だったが、最終的にはいつも著作権の話に行き着く(クリエイティブコモンズは著作権のハックだから当然といえば当然なのだが)。
OCWとクリエイティブコモンズの実務については、一度どこかでまとめて書いておきたい。
佐藤優さんとの対談
『FILT』というウェブマガジン(紙バージョンもあり)で、作家の佐藤優さんと対談させていただいた。『右肩下がりの君たちへ』という佐藤さんの連載企画に声をかけていただいたのである。
佐藤さんの本は、『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』をはじめ、何冊か読ませていただいていた。ぼくも「インテリジェンス」、「キリスト教」という日本では独自の、そして唯一無二の視点から物事を切り取る佐藤さんの言葉に新鮮さを感じている一人である。最近だと、ミッシェル・ウェルベックの最新作『服従』の巻末解説を佐藤さんが書かれている。この一見意外な邂逅に妙に納得させられたとともに、ウェルベックという作家のステージも変化していることとも感じた。
実際の佐藤さんは穏やかで、ぼくのような者の話にも耳を傾ける方だという印象だった。とはいえ、やはり眼光がするどさが半端ない(笑)。
短い時間だったが、検察の取調べ方法や佐藤さんの所を訪れる世界中の要人たちとの付き合いの話など、掲載されていない色々な話しをうかがった。
またお会いして、お話ししてみたい方の一人である。
ブラード・ラインズ事件 -音楽の著作権とコモンズの危機
Mark Ronson「Uptown Funk」と権利主張者の増加
雑誌「ミュージック・マガジン」2016年1月号(特集ベスト・アルバム2015)に気になる記事があった。長谷川町蔵氏による記事で、マーク・ロンソンがブルーノ・マーズをヴォーカルに迎えた2015年の大ヒット曲「アップタウン・ファンク」について、楽曲の著作権に関するクレジットが当初4名だったのが、その後権利を主張する者が次々と現れ、最終的には11名にまで増加したという内容である。同氏は、このような経緯に触れ、ポップ・ミュージックの引用と共有の歴史に警鐘を鳴らしている。
"Blurred Lines"事件
同記事において、このような事態を招くきっかけとなっていると指摘されているのが、ロビン・シック(Robin Thicke)とファレル・ウィリアムスによるヒット曲「ブラード・ラインズ(Blurred Lines)」が、マーヴィン・ゲイの著名曲「Got to Give It Up」の著作権を侵害しているとして、ゲイの遺族がシックやウィリアムスを訴え、シック/ウィリアムス側が敗訴したという事件である。
問題となった楽曲の類似部分を比較した映像があったので、聴いてみてほしい。
この訴訟の最大の争点は、パーカッションやボーカルの声質や歌い方、シンプルに繰り返されるベースのフレーズなどの「サウンド」を構成する要素やその組み合わせで生み出されるグルーヴに楽曲の著作権が発生するか、という点である。
ゲイの遺族の代理人は、シックらがサウンド・レコーディングから生み出される音楽的な構成要素をコピーしたと著作権侵害を主張。このような楽曲の著作権侵害においてしばしば使われる類似性判定の手法(類似部分のフレーズの長さを同じ長さに調整した楽譜を並べて音の高さの一致する程度を数量的に計測する手法)は利用せず、シックの過去作にゲイの楽曲の無断引用が行われていることや、リリース当時にゲイの同曲を意識して作った等と話すインタヴュー映像などを証拠として提出した。
シックらの代理人は、「過去の判例上、楽曲の著作権の対象は譜面上に表現できる要素(ほとんどの場合メロディ+α)に限定され、パーカッションやボーカルなどが生み出すフィーリングには発生しない。いかにマーヴィン・ゲイが天才であっても、誰もジャンルやスタイル、グルーヴといったものを独占することはできないはずだ。」という旨の反論を展開した。
詳細は下記bmrの記事を参照してほしい。
サンプリングしたわけでもなく、キーもメジャー/マイナーというコード進行も全く異なるにもかかわらず、曲のグルーヴや「雰囲気」、フィーリングが似ているという同曲が盗作扱いされれば、これはたしかにこれからの音楽家にとって多大な萎縮効果を与えることになる。ウィリアムスらの言葉を借りれば、「音楽にとって恐ろしい前例であり、クリエイティヴィティは後退することになる」ということになりかねない。
同事件に関する最新の下記ニュースでは、マーヴィン・ゲイの遺族は弁護士費用や訴訟費用の一部を追加で請求したことや、裁判所が以後のロイヤリティ50%を遺族に支払うよう求めたことに加え、昨年12月シックとウィリアムスが控訴したことなどが記載されている。
「サウンド」をめぐる権利
控訴で判断が覆る可能性もあるし、ぼくも上記判決には反対の立場である。
だが、ここではあえて別の論点を指摘してみたい。
それは音楽の著作権(のうちの楽曲の著作権)が発生する部分が本当に譜面に表現できるような部分、すなわち、旋律(メロディ)、和声(ハーモニー)、リズム・テンポなどの部分に限られてしまっていいのだろうか、という点である。
楽曲の著作権の対象がなぜ譜面で表現できるような部分に限定される理由を端的に言えば、それは音楽産業が西洋音楽中心のなかで発達してきたから、と言えるだろう。
しかし、メロディなど譜面で表現できる部分という部分は有限である。現代の音楽家は、この有限性を前提に、いかにそれを再利用し、他の音楽的な要素と組み合せることによって、新しいグルーヴやフィーリング、アンビエンスといったものを生み出すか、といった勝負になっている(ここについては私見が多分に含まれているかもしれない)。
一部の敏感な音楽家たちが民族音楽などとのマッチングに新しい音楽の「活路」を見出すことが多いのは、そのような意味での西洋音楽の有限性にない、コモンズの部分に魅力を感じるのではないか、とも捉えることが可能ではないかとすら感じられる。
このように考えてみると、現代の楽曲の創作性として、グルーヴやフィーリング、アンビエンスといったものも含まれるべきだ、含まれるとしてどの程度保護されるべきか、といった検討や主張は一定の正当性を持つようにも思われる(ブラード・ラインズ事件においてゲイの遺族の代理人はこのような主張をしているわけではないようだが、ぼくがゲイ側の代理人であればこのような主張も加えるだろう)。
後行者が自由に利用できる音楽のコモンズを確保する観点からすれば、音楽の著作権が発生する部分をむやみに拡大すべきではない。
その一方で、音楽の著作権の枠組みが譜面に代表される伝統的な西洋音楽を前提にしたままでよいのか。「サウンド」によりフォーカスが当たるようになってなってきている現在の音楽的傾向において、「サウンド」の創作性をいかに考えるべきか。
ブラード・ラインズ事件には、このような奥深い問題も潜んでいるように感じられるのである。
なお、「ミュージック・マガジン」2016年1月号には、拙稿「エイベックスはJASRACから離脱するのか」も掲載されているので、よろしければご覧くださいm(_ _)m
ミュージック・マガジン2016年1月号:株式会社ミュージック・マガジン
また、コード進行と著作権などについてより詳細に知りたい方は、以前リットーミュージックさんで書かせていただいた下記の記事などもご覧いただければ幸いです。
ちょっと熱くなって書きすぎてしまった。反省。。
新国立競技場の類似問題
新国立競技場のザハ・ハディド案と隈研吾案の類似問題については、大きく分けて「契約違反」、「著作権」、「営業秘密」の3つの問題がある。
契約違反について
まず、ザハとJSC、ザハと大成建設、それぞれとの間の契約違反の問題がある。
いずれの契約においても、CADデータなどの知財や情報の取扱いに関する何らかの条項があると考えられるので、それについて契約違反が成立するかが問題となる。
契約違反の有無については、契約内容が明らかになっていないので何とも言えない。
両契約における準拠法や管轄についても気になるところで、ザハとJSCとの間の契約における準拠法は日本法、管轄は東京となっている可能性が高いが、ザハと大成建設との間の契約における準拠法は英国法、管轄はロンドン、あるいは国際仲裁となっている可能性があるのではないかと思う。
著作権侵害について
次に、ザハ案と隈案の類似について著作権侵害が成立するかが問題となる。
建築の著作物は、建築芸術と言えるような特殊なものを除いて、原則として著作物性が否定される。これは、建築物の形象は、建築物としての本来の用途・機能の制約の上に設計されるため、もともと表現の選択の幅が狭いからである。また、既存のデザインの改良による積み重ねで発展していくものであるから、著作権法の緩やかな要件で著作者人格権の保護や著作権による長期の独占を認めることはかえって後行の建築デザインの発展に支障をきたすことになりかねない(島並・上野・横山『著作権法入門』45P)。
ザハ案は、アーチなどの外観については問題なく「建築の著作物」として認められるだろう(「建築の著作物」として認められるためには建築が完成していることを要しない)。
ただし、隈案との類似が問題になっているのは、アーチなどの外観ではなく、スタジアムの座席、柱、傾斜などレイアウトの設計部分であり、この点が「建築の著作物」として認められるかは判断が難しい。なぜなら、スタジアムのレイアウトは、競技場としての用途・機能の制約のうえに設計されているため、より表現の幅が狭いと考えられるからである。仮に、スタジアムのレイアウト部分が「建築の著作物」として認められたとしても、「薄い著作権」の考え方からしてデッドコピーに近い場合にしか著作権侵害は成立しない。本件がこの「デッドコピーに近い場合」に該当するかも判断が難しい。
また、建築の著作権とは別に図形(図面)の著作権侵害についても別途検討が必要になろう(これについては競技場の製図法としてザハ案の図面に創作性が認められるかという問題になる)。
その他、下記の記事で栗原潔氏が指摘しているように、営業秘密に関する不正競争防止法違反の問題もあるが、ザハ案、隈案双方に大成建設が入っている以上、この問題は冒頭の契約違反の問題に実質的に吸収されてしまうのではないだろうか。
解決に向けて
法律問題から少し離れて本問題の解決を考えると、下記記事で大島和人氏が提案しているように、ザハも共同設計者としてクレジットするなど、ザハ側に一定の敬意を払った形での解決を期待したいところである(が、ここまでの経緯に鑑みると期待はできない)。
ザハ案にも関わっていた大成建設が間を取り持ちするのがベターであろうが、隈氏と組んで再コンペにアプライしている時点でザハと話し合いをつけているのかと思ったらそうではなかったらしいことが露呈してしまった以上、大成建設は訴訟リスクも見込んで隈案で再コンペに臨んだ可能性も十分にある。ザハが工事中止の仮処分を申し立ててきた場合、工事の遅延が大きな問題となるが、大成建設は仮処分は認められないだろうという算段なのだろうか。
現在ぼくも某建築の著作権に関する訴訟を抱えていることもあって、頭の整理のためにも書いてみた。この件は今後も継続的にウォッチしていきたい。
<1/22追記>
1/21にNoiz Architectsで行った「建築/コンピュテーショナルデザイン/法」と題するレクチャーにおいて、本件についても触れたところ、来場者の方から様々なご示唆をいただいた。
当日のプレゼン資料:
ザハ案の著作物性について、印象的なキールアーチを含むファサード部分とスタジアム部分の著作物を1個の著作物と捉えるのか、別個の著作物として分離できるのかはなかなか難しい問題である(いわゆる著作物の個数論)。
これは建築物の設計に不可欠な「意匠」と「構造」の区別と一体性をどのように捉えるかという問題であるが、昨今の3D CADやBIM(Building Information Modeling)を活用したコンピュテーショナル・デザインにおいてはさらに混沌とした課題を法律面でも投げかけているように思われる。
顧問契約について
「顧問契約の内容を教えてほしい」というご要望を時々いただくので、「ここを見てください」と言えるように、顧問契約についてのぼくの考えについて簡単に書いてみる。
弁護士の契約形態
弁護士とクライアント(依頼者・顧客)との契約形態は、大きく分けて2種類ある。
1つは、ぼくが「スポット」と呼んでいる形態で、「この契約書をレヴューしてくれ」「こういう契約書をドラフトしてくれ」、「このお金を回収してくれ」、「こういう紛争を解決してくれ」など、案件ごとに単発でのご依頼を受ける場合。
この場合、フィー(報酬)はタイムチャージ(ぼくのいまのタイムチャージは15,000円/h ※2016年4月から20,000円/hになりました)で請求させていただくのが原則であるが、案件によっては、着手時にいただく着手金と終了時にいただく報酬に分けてフィーをいただくこともある。
もう1つは、いわゆる「顧問契約」と呼ばれる形態で、月ごとに一定の顧問料をいただく代わりに、契約書のレヴューやドラフト、法律相談など、様々な法律業務(顧問業務)に対応するという場合である。
顧問契約のメリット
クライアントにとっての顧問契約のメリットについては、以下のようなものが一般的に挙げられる。
- いつでも相談できる(夜間、休日など通常の業務時間外であっても優先的に対応)(△)
- 気軽に相談できる(◎)
- 普段から密に、継続的にご相談いただくことにより、より的確かつ丁寧な回答やソリューションが提供される(◎)
- 紛争の予防、紛争の早期解決になる(△)
- 取引先や金融機関、従業員等との関係で社会的信用を増加させる(◯?)
- 反社会的勢力の排除の効果(△?)
- 訴訟等を受任した場合の弁護士費用の減額(△)
- 自社に法務部を設置するよりも安価(法務のアウトソーシング)(◯)
- 法務人材の教育(◯)
- 司法書士や行政書士、税理士などの他の専門家との連携(△)
各事項の後ろに◯、△などを記載しているが、これはぼくが本当にメリットなのかどうなのか、という所感を示している。
いずれのメリットも否定はしないが、公平に見て「それって本当に顧問契約のメリットになのかな?」と思うものもなくはない。
例えば、1については、たしかに他の案件よりもできるかぎり優先して着手するようにはしているが、ぼくの場合でいえば、昼夜、土日祝日の区別はあまりないので、いつでも対応しているので、顧問先かそうでないかであまり変わりがない(もっとも、これはぼくの働き方のせいかもしれない)。
夜間、休日でもクライアントが依頼するときに「申し訳ないなあ」とクライアントが思わないことがメリットなんだ、という言い方もあるだろうが、そんな風に思うクライアントはそもそもあまりいないのではないだろうか。その他の事項も今の時代において「顧問契約だからこそ」というものでもないような気がする(5は上場準備のタイミングで証券会社から求められるケースは多い)。
弁護士との顧問契約はよく保険に喩えられる。会社の経費としてはそんなに高くはないので、ひとまず入っておくという考え方をするクライアントは一定数いる。
そこで、弁護士サイドは顧問契約のメリットをこぞってアピールするのだが、結局、上記のとおりメリットとして本当にどれだけ実効的なのかは疑問なものも多い。
結局のところ、クライアントから見て、2の価値をどれだけ高く考えるか、というあたりに集約されるのかなあ、というのがぼくの所感である。最近出てきている月3000円くらいの超低価格の顧問契約は、もちろん3000円という金額でも従来の顧問契約のように何でもしてもらえるという契約ではなく、ひとまずこの「気軽さ」だけを低価格で提供して、クライアントを囲い込む戦略と言えるだろう。
一方、弁護士の目線で見ると、3の価値は大きいのかなと思う。クライアントの業務に精通すれば成果物のイメージをしやすく、「この成果物の権利はこっち、後は向こう」と切り分けもできるし、「このクライアントは受託でも成果物の知的財産権は譲渡しない」とそれまでの関係性で把握していれば、その分、素早く、的確に契約書のレヴューができたりする。
顧問契約のデメリット
では、顧問契約のデメリットはなんだろうか。弁護士の多くはこの点に触れないのだが、フェアではない。
顧問契約のデメリットは、端的に言って、支払っている顧問料に見合っただけの仕事がない場合、お金を支払いすぎてしまうことになる、という点だろう。
感覚的には、毎月1,2通の契約書のレヴューが定期的に発生する場合には顧問契約を検討してもよい時期ではないだろうか。
慣れない人が時間をかけて確認し、不安なままでいるよりは、プロにアウトソーシングしていただいたほうがよいのではないかと思うことは多い。
ぼくの顧問契約
ぼくの顧問契約は、現在、以下のようなシンプルな内容である。
- 月額6万円7万円(税別)
- 月5時間まで稼働
- 月5時間を超過した部分は、通常のタイムチャージである15,00020,000円(税別)/hを請求させていただく
ぼくのタイムチャージで5時間働くと750,000100,000円になるが、それが6万円にディスカウントされ、15,00040,000円お得になる、というのが、ぼくの顧問契約のメリットである。
上記の通り、ぼくは顧問契約というもののメリットについてまだ自信を持って説明できていないので、クライアントにオススメするためにはこのような明快なメリットを持つ必要があった。
なお、顧問料は、独立1年目は月3万円、2年目は月4万円、3年目は月5万円、今年から月6万円と毎年1万円ずつ上げている。来年は余程のことがない限り月7万円になっているはずだ(そう願う)。
これは設立当初は低価格で事業資金を確保する目的があった一方で、弁護士として毎年顧問料を1万円ずつ上げていくことができるくらい、自らの価値を上げることを課しているという意味もある。
やや特殊な条項としては、
- ウェブサイトなどで顧問弁護士として水野またはシティライツ法律事務所の名前を公表してよい
- ぼくもクライアントとの顧問契約締結の事実と関与した案件を公表してよい(ただし、周知になったものに限り)
- PDFのやり取りで契約成立
というのがあるが、まあ瑣末な話ではある。
詳細はこちらで。
顧問契約を検討する際に注意すること
顧問契約をする場合、いきなり顧問契約をするのはおすすめしない。弁護士との仕事も人間関係なのだから、当然のことながら相性がある。その意味では、いきなり顧問契約をすすめてくる弁護士には注意したほうがよいだろう。ぼくの場合、まずはスポットで何件か仕事をやってみて、相性が悪くなくて、毎月一定の仕事があるようであれば、顧問契約を勧めることにしている。
現在のぼくの仕事は、顧問契約をしているクライアントの仕事とスポットのクライアントの仕事がそれぞれちょうど半分くらいだろうか。弁護士業として、顧問契約とスポットの仕事の割合をどうしていくべきか、という点は、顧問契約をできるだけ多くすれば経営が安定する一方で、仕事内容が硬直化しやすいというデメリットもあり、なかなか考えてしまうところではある。
スポットでも長期で信頼関係を築けているクライアントもたくさんいるし、顧問契約ありきではなく、クライアントのためにメリットがある場合にはおすすめするようにしたい。
なお、本ポストで主にイメージしているのは、これから顧問契約を検討する中小企業や個人で、上場準備や上場後の企業はまた別の考慮がある。今後また思うところがあれば書いてみたい。
<1/17追記>
誠実かつ良エントリ。ちなみに個人的には企業にとって顧問契約の一番の意味はスポット依頼たりえないちょっとしたご相談が多くある場合であると思います。なのでどんな企業にも積極的にお勧めするようなものでもない。RT 顧問契約について https://t.co/NwBZxeZ5kB
— shibaken_law (@overbody_bizlaw) 2016, 1月 17
弁護士の柴田健太郎さん(@overbody_bizlaw)から、「個人的には企業にとって顧問契約の一番の意味はスポット依頼たりえないちょっとしたご相談が多くある場合であると思います。」との意見をいただいた。たしかに、スポットとして依頼するか否か微妙な相談にこそ、紛争の早期解決の萌芽があったりするので、なるほどと思った。
<1/17追記>
@TasukuMizuno @overbody_bizlaw コンフリクト回避のために顧問契約結ぶというメリット?もありますね。仕事の依頼がないとただの飼い殺しになりますが。
— Masahiro Ito/伊藤雅浩 (@redipsjp) 2016, 1月 17
弁護士の伊藤雅浩さん(@redipsjp)からも「敵にしたくない弁護士を抱えることができる」というメリットのご意見もいただきました。やっぱりそういう弁護士がいるんですね(別の意味ではいま(以下略))。